大阪・岸和田産業高等学校の卒業生のための同窓会公式サイトです。

同窓会トピックス

アフターコロナ時代へと

同窓会会長 杉山 玄道

第38号 令和5年11月1日発行
母校創立116周年 創立明治40年6月25日

 同窓会の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。また、平素は同窓会活動に格別のご理解とご支援を賜り心から感謝申し上げます。

 辛く長かった時が終わり、いよいよアフターコロナ時代へと突入しました。コロナ禍を経て人との関わり方も多様化する昨今、同窓会もこの経験を糧にしてこの世の変化に対応し、さらなる高みを目指し活動を進めて参りたいと思います。そして、同窓生の皆様が飛躍を続けられるような関係を提供することはもとより、何か道に迷った時、困った時に寄り添う事ができる同窓会でありたいと考えます。

 私個人としては、在学時に学び、経験した様々なことのご恩を少しでもお返し出来る様に会長職に精進してまいりたいと思っています。そして同窓生の皆様におかれましても、これ以上に岸産高同窓会により関心を寄せて頂きます様に切にお願い申し上げます。そして12月2日土曜日開催する同窓会総会・懇親会には、一人でも多くの皆様とお会いできることを楽しみにしています。そして同窓会の集まりでは、年長者と共に若人が集い「昔は・・・だったよー」とか、「今はZ世代で・・・だよねー」と暖かな空気に包まれたいものです。 

会報誌、同窓会ホームページ(https://kishisan.com)をご覧頂き、多くの同窓生の皆様には、年代を越えた、マスクなしでお会いできることを切に願うと共に、良きご縁に恵まれた同窓会総会・懇親会にご参加下さることを願います。

 最後に同窓生の皆様のにおかれましては、それまでご自愛ください。

 

ご挨拶

学校長 大西 敦子

 同窓会会員の皆様には、ますますご健勝のこととお慶び申しあげます。平素は本校の発展充実のため、物心両面に渡り温かいご支援を賜り厚く御礼申しあげます。

 さて、5月8日より新型コロナウィルス感染症の感染症法上の位置付けが5類に移行し、学校における教育活動についてもコロナ禍以前の生活に戻ることになりました。2020年3月の全国一斉臨時休校から始まった約3年間のコロナ禍では様々な制限が課され、学校でも家庭でも我慢を強いられ窮屈な生活を送らざるを得ませんでした。

 反面、この3年間で国の施策である『GIGAスクール構想』が前倒しで実施され、Wi-Fi 環境が整い、各教室にライブ配信の形で始業式・終業式、全校朝礼や各種講演会を実施することができるようになりました。1人1台のデジタル端末の配備も全国的に推し進められ、本校でも今年度より導入されました。このように教育現場においても急速にデジタル化が進み、皮肉にも新型コロナウィルス感染症の流行によって社会

のデジタル化は10年早まったともいわれています。さらに、衛生面や熱中症対策の一環として、トイレの改修工事、手洗い場の水道蛇口の自動化、体育館および特別教室の空調設備の設置、教室の照明器具のLED化、西棟教室の床の張り替えなど、生徒たちがより良い環境で学校生活を送ることができるよう、学校の環境設備の整備を急ピッチで進めて頂いております。

 また、高校では令和4年度から年次進行による新学習指導要領の実施や観点別学習状況の評価がスタートしました。全日制商業科・情報科では「マーケティングフィールド」、「アカウンティングフィールド」、「ICTフィールド」の3つのフィールドを中心とした専門科目を設定し、特

に商業科ではマーケティングフィールドでの学びを通じて、企業様にご協力いただき、新商品を企画したり、観光やビジネスで地域を活性化するための仕組みを学んでいます。デザインシステム科では、「プロダクト」・「テキスタイル」・「スペース」・「ビジュアル」の4つの専門分野を設定し、段階的な学習を経て、より専門的な知識と技術を身につけ、ものづくりのスペシャリストとして地域社会に貢献できる人材育成をめざして取り組んでいます。定時制においては、それぞれの目標に向かって挑戦ご挨拶できるよう、興味や熱意を『カタチ』につなぐ「レール」を設定しています。レールとは、それを選択することにより「何を学び何ができるようになるのか」をわかりやすく示したものであり、「ビジネス」、「国際交流」、「観光ビジネス」、「簿記会計」、「プログラミング」の5レールを設定しています。このように、全日制・定時制ともに「創造・勤労・協力」という教育目標のもと、「心豊かにたくましく生きぬく生徒の育成」を努力目標とし、市や卒業生の皆様、地域の産業界の支援を得て、歴史と伝統を継承しながら、時代の進展・社会の変化に対応できる「地域に有為な産業人の育成」をめざして取り組んでおります。同窓会の皆様にはどうぞ今後とも本校の発展充実のため、より一層のご指導、ご支援を賜りますよう宜しくお願い申しあげます。最後になりましたが、同窓会会員の皆様の益々のご健勝、ご活躍を祈念し、ご挨拶といたします。

 

商品開発クラブ
泉州きくなプロジェクト
3H 花岡 真希
「泉州きくな」を用いた新商品開発に取り組んでいます。この原稿を作成している時点(2022年12月)で完成には至っていませんが、さまざまな企業と連携を図りながら年度内の販売を目指しています。

【活動成果】
2022年 全国高等学校生徒商業研究発表大会発表タイトル:「産学官パートナーシップ・プロジェクト~持続可能な「地域活性化モデル」創出への挑戦~」

クラブと成長

 私は商品開発クラブに3年間所属し、他の部活動ではあまりできないような貴重な体験をさせていただきました。
 1年生では、先輩方が開発した商品を販売しました。チラシ配りや呼び込みなど今まで経験したことのないことも沢山あり、最初は戸惑いましたが、先輩方が丁寧に1から教えて下さったことで、楽しく実習を行うことができました。1年間で多くの販売機会に恵まれ、初販売が阪神百貨店だったこともあり、自分を大きく成長させることができました。また堂々と販売する先輩方の姿を見て、「自分もそうなりたい。」と強く思いました。
 2年生になって後輩ができ、初めて教える立場となりました。当初は、なかなか後輩に対して上手く教えることが出来ないこともありました。しかしながら、先輩方が自分にしてくれたことを思い出し、徐々にできようになりました。さらに、初めて新商品開発にも携わりました。商品案やパッケージ、コンセプトなど決めることが沢山あり、悩むことも多々ありましたが、部員みんなで新商品を考える時間はとても楽しく、刺激のあるものでした。そして、生徒商業研究発表大会にも参加しました。私はプレゼンテーションの時間を計測する仕事をしましたが、全国4位に入賞した先輩方の発表する姿を常に間近で見て、「かっこいい」と思い、憧れを抱きました。その反面、プレッシャーも感じていました。
 3年生では部長を任されました。自分が部長で大丈夫なのかと心配でしたが、同級生や後輩たちが力を貸してくれて、頼ってくれたので、期待に応えられるようにと思い、頑張ることができました。後輩たちには、自身の経験を全て伝え、教えていきたいと思い、同級生には一緒に活動してくれたことに対する感謝の気持ちを持ちながら、未練を残すことのないように、1回1回の活動を大切に、参加してきました。
 商品開発クラブでは自分たちだけでなく、地域の方々や普段話す機会のないような企業の方々とお話をする機会が多々あります。そのなかで、自分の知らなかったことや新たな世界を知ることができるのは、この部活動の最大の利点だと思います。商品開発クラブに入部して、私は大きく成長しました。この成長を、これからの進路にも活かして頑張っていきたいと、強く思っています。

 

令和4年度会務報告

令和5年度事計画
・3 月 全日制・定時制卒業式に代表役員参列(各3 名)
・4 月 同窓会ホームページリニューアル
・5 月「役員・理事・幹事会議」コロナウィルス感染防止の観点から今年度も
   各理事に書面による各議案審議・諾否を実施→承認。(会計収支報告、会計監査報告は別添)
・11 月1 日 同窓会報第37 号を発行(今回のみ8→12 ページに増やした)
・11 月26 日 総会・懇親会を「レストラン日本」にて開催

 

令和5年度事計画

・5 月20 日「役員・理事・幹事会議」於:岸和田浪切ホール1 階「庄八」にて開催
     以下の事業計画及び会計予算案(別添) 
・必要の都度理事・幹事会を開催
・学校行事(要請)への参加
・同窓会ホームページの都度更新
・同窓会報 第38 号 編集、発行(11 月初旬発送予定 5000 部作成)
・応援募金の募集(同窓会報発行に併せて)
・総会・懇親会の開催(12 月2 日(土)12 時~ 岸和田グランドホールにて開催)
※事業計画( 案) 及び会計予算計画( 案) を全会一致で承認。

 

恩師からの贈り言葉

 現在62歳の私は、今から遡る事45年前、岸和田市立産業高校野球部に所属していました。その野球部時代の思い出と言えば、楽しいことや辛かったことなど
数えきれないくらい多くありますが、今でも忘れられない程の強烈な印象に残る思い出が一つあります。当時の野球部監督は岩井先生、部長が後に校長になられた池宮先生でした。これまでの私の経験として、学生時代から社会人、また消防本部勤務時代に至るまで、様々な指導者の方々から教えを乞う機会がありましたが、特に高校野球部時代の両氏からは多くの指導を賜り、今でも心に残っています。一つ例にあげますと、岩井先生からは「心なんだよ」と毎日のように言われたことを今も鮮明に覚えています。
 今思いますと、当時の私はこの岩井先生から頂いた「心なんだよ」という言葉を、自身の中で大切にしながらも、その意味を何となくフワッとした感覚でしか理解できていませんでした。しかしながら、市議会議員を目指すことになり、選挙活動を通し多くの市民さんと接し、自身の考えや思いを伝えていく中で、岩井先生の「心なんだよ」と言う言葉の意味をあらためて深く理解し、この言葉の大切さを痛感しました。今後も出逢う人に対して、利他の精神で接し、心を込めた声がけを心がけて活動していきたいと思います。
 また、池宮先生からは、卒業する際の餞(はなむけ)の言葉として、山岡荘八の歴史長編小説、織田信長5巻、豊臣秀吉8
巻、徳川家康26巻は必ず読むよう助言を頂きました。その意味としては、「人生は長い、その道のりにおいて三将の人生を綴った歴史小説は、数々の苦境をよ
り超えて大願を成している。小さな判断ミスでも命を落とす戦国時代に比べれば、厳しい時代と言われる現代も、いかに生き易い恵まれた時代かが良く感じ取れる。そう思えば人生の逆境も大したことはない。」と言うものだったと思います。
 その教えのとおり、私は仕事に息詰まった20歳の時には戦国武将三将以外にも様々な武将の本を全巻読破し、戦国武将の人生を綴った小説から、潔さと大願を成す事が人の心を動かすという事を学びました。後の私の人生においても、公務員として勤めた消防職員23年の職を辞し
て市議会議員選挙に出馬するという決断をした際に、自身の志を成すため潔く退路を断って挑戦できたと感じています。
 その後の仕事においても、人への接し方においても、両先生方から学んだ精神により、これまでの道を切り拓いてこられたと感じており、これまでの62年の人生の中において、岸和田市立産業高校での3年間は大変意義深い時間を過ごすことができたと感じております。
 両先生方をはじめご教示頂いた先生方に対し心より感謝申し上げるとともに今後の人生においても日々精進してまいります。

 

わたしの現在地

 私は、中学卒業と同時に府立高校(全日制)に進学しましたが、体調不良等で1年生の6月、自主退学しました。定時制に入学したのはそれから8年後のこと。同級生は私より8歳年下というのが当たり前。何より授業やテストを受けること、勉強すること自体が遠い記憶を手繰り寄せるところから始まるといった感じで、悪戦苦闘の8年遅れの高校生活のスタートでした。同級生たちのようにすらすらとものは覚えられない、何をするにも人一倍時間がかかる、先生たちからすれば、手のかかる生徒だったと思います。
 そんな私は、仕事を早めに終えさせてもらい登校し、学友会室(職員室の隣り)でよく勉強していました。そのおかげもあって、たくさんの先生、同級生、先輩たちから声をかけてもらいました。なかでも一番お世話になったのが簿記を3年間教わった安井孝先生(現全日制教頭)です。私は、特に簿記が苦手だったため、検定試験前は不出来な自分を鼓舞し(時折涙を流しながら?!)、何度も過去問を解きました。その甲斐あって、在学中に「全商1級」を何とか取得しました。
 私の「最後の最後まで絶対に諦めない」現在の姿勢は、ここ、岸産で培われたものです。定時制卒業後は和歌山大学経済学部で経済学を学び、教員免許(高校商業)を取得、その後、大阪市立大学(現大阪公立大学)の修士課程で、10代でお母さんになった女性のライフコースについて研究し、奈良女子大学の博士課程で研究を続け2022年3月に博士(学術)号を取得しました。
 高卒資格を取りたい一心で岸産に入学した私の大学進学のきっかけは、同級生たちとの出会いと安井先生のひと言「大学で教員免許を取ったらどうか」でした。安井先生は私にとって第二の父です。
 さて、私は現在、愛知県にある豊橋技術科学大学のダイバーシティ推進センターで教員として勤務しています。これだけでは一体どんな仕事?と思われると思います。SDGs(持続可能な開発目標)が広く認識され、多様性尊重(ダイバーシティ)と社会包摂が主軸の一つとなる今日、性別や性指向等、国籍や宗教、文化的背景をはじめ、多様な構成員(学生・教職員等)が、それぞれの違いを互いに認め合い、すべての人たちの心理的安全が保障されたキャンパスを創り、これを持続するための一翼を担うのがダイバーシティ推進センターです。私はここで、ジェンダーと社会福祉(ソーシャルワーク)の専門家として働いています。今年度は本務に加え、神奈川大学法学部の非常勤講師としてジェンダーに関する授業を担当するほか、大阪の福祉専門学校で後進の教育に携わっています。
 私は研究の傍ら、奈良県教育委員会での勤務、自立援助ホーム(義務教育を終えた児童養護施設出身者などの若者の自立支援を行う施設)の運営等を経て、仲間とともに「NPOこどもソーシャルワークONE TEAM」を立ち上げました。私たちは「こども」を年齢ではなく「こども期にこどもとして家庭や社会で尊重され、育まれてきたか?」という視点を大切にしています。


 要するに、いま「こども」の人も昔「こども」だった人も、みんなが対象です。さまざまな社会的条件不利のもとで生活されている方たちのアウトリーチ(家庭訪問)活動をはじめ、地域のサポーターや学生等を対象に研修や出前講座を行っています。私は「マイノリティと社会の仕組みをつくる人たちとの通訳者になりたい」と、社会福祉を学びました。こんな今の私をつくり、支えているのは、ほかでもない岸産でのひと・もの・こととの出会いです。ここが私のその後の人生を紡ぐすべての土台となりました。
 先行き明るいとはなかなか言えない日本ですが、諸課題を「自分ごと」、「私たちごと」と捉え、行動することを大切に、生活のなかで私たちにできることを探し、今後も一つずつアクションにつなげていきたいと思います。ぼちぼちいこか。私たち、フレーフレー!

目標! 2028年ロサンゼルス五輪出場

私は小学4 年生からBMXレーシングという自転車競技をしていました。中学校でも部活動には入らず、学校から帰ると直ぐに練習に行き、競技中心の生活でした。高校を選ぶ際にはスポーツ推薦などで私立高校に行くのではなく「みんなと同じように高校生活を送って学校行事にも参加したい」「BMXだけではなく勉強もしていろいろな資格を取りたい」という思いから岸産を受験し2017年に入学しました。高校入学後も部活
動には入らずBMXを続け、友達が部活動に行く放課後は私も毎日練習に行きました。時々遠征などがあるとお休みを頂いてレースに出場したりもしました。学校の部活動ではないにも関わらず岸産の先生方は応援してくれました。一番嬉しかったのは高校3年の時、アジア選手権に出場することになった際に先生方から花束を頂き学年集会で送り出してくれたことです。競技と学業の両立は大変だと思う時もありましたが、競技のことを理解してくれ応援してくれる温かい先生がたくさんいる岸産を選んで本当に良かったとその時思いました。大学進学後も競技を続け、大学2回生の時には全日本選手権で優勝し、念願の日本一になることができました。その後はワールドカップなどにも出場する機会をいただき挑戦しましたが、日本と海外ではレベルが違い結果を残すことが出来ずにいました。そんな時に、同じ自転車競技のトラック種目から「BMX選手を対象としたトラック種目への適正テストをするが受けてみないか」と声をかけて戴き、今年の2月にテストを受けました。BMXとトラックでは種目が違っても同じ自転車という点で共通しているところがあり、今年5月にトラック種目の日本代表に選んでいただきBMXからトラック種目へ転向しました。トラック種目の日本代表は静岡県の伊豆市を練習拠点としている為、伊豆で生活をする事が条件でしたが、BMXを引退し大阪を離れてまで転向することを決めた理由は、BMXでは見れなかった景色を見てみたい、オリンピックに出たいと思ったからです。5月には全日本選手権に出場し、チームスプリントと500mタイムトライアルの2種目で日本新記録を出すことに成功しました。6月にはアジア選手権、8月には世界選手権にも出場させて頂きました。トラック種目に転向して半年、まだまだ挑戦中ですが、今後の目標は2028年のロサンゼルスオリンピックに出場することです。高校在学中、岸産の先生方には本当にお世話になりました。岸産だったから競技と学業の両立ができたと思っています。今後も自転車選手として活躍し、当時お世話になった先生方にいい報告ができるよう頑張ります。


 

簿記部

全国大会出場から得たもの
2H 髙木 沙莉

 私は昨年度も全国大会に出場したのですが、昨年度はコロナウィルスの影響により、兵庫県で開催されました。今年度の全国大会は例年と同様、東京都で開催されることが決まり、簿記部として最後の思い出を東京で作りたいと強く思いました。2月に行われた別の大会で私たちは2位になってしまっていたので、危機感を持ち、みんなで協力しながら大会の問題に励みました。その結果、大阪府予選で見事に優勝し、個人も上位を独占することができ、全国大会の切符を掴み取ることができました。 全国大会に出場することが決定してからも、岸産初の全国大会団体入賞を目指し、みんなで問題に励みました。結果、やはり全国の壁は厚く入賞には至りませんでしたが、とても良い経験になったと思っています。昨年度とは違い東京都での開催で、大会の雰囲気もまた違ったものを感じることができ、学校生活最後の部活動を悔いなく良い思
い出として残すことができ、本当に良かったです。

 

情報システム部

近畿地区高等学校ワープロ競技大会を経験して
4H 本間 寛基

私たちは近畿地区高等学校ワープロ競技大会に出場しました。3年ぶりの近畿大会ということで少し緊張していました。土曜日に日曜日の本番への準備・練習などを行いました。初めての近畿大会だったので私の思っていた以上に人が多くて驚きました。夜は自分の慣れないベッドで寝るので、あまりのプレッシャーに深い睡眠をとることができませんでした。そして、大会当日。他の学校の気合が入っている会場の雰囲気がさらに緊張感を増やしました。1番手2番手3番手と順番を変えて競技を行っていきます。待機の時間は競技前のウォーミングアップやテスト勉強などをすることができたので非常に過ごしやすい空間を感じました。競技は、前半は思い通りに打てていたのですが、後半では焦ってしまいうまく打つことができなかったのが非常に大きな反省点であり、事前に対策を考えておくべきだったと後悔しました。私たちの初めての大きな大会が開催できたこと、そして会場を貸してくださった流通科学大学の関係者の方々に感謝します。

 

情報システム部

全国高等学校ワープロ競技大会に出場して
3H 井本晃生

私は、8月3日に東京都産業貿易センター台東館・台東区民館で行われた第70回全国高等学校ワープロ競技大会に7H滝沢俊介君とともに個人出場を果たしました。
 全国大会は昨年から数えて二度目の出場経験になります。全国大会はこれまでの地区大会に比べてもかなり大規模で、選手人数や会場の広さには迫力がありました。試合の前日は緊張感もありましたが、当日、大会に臨んだときはこれまでの努力を信じてベストを尽くせたと感じています。結果としては全国の壁を再び見せつけられ悔しさもありますが、昨年のこの大会結果の悔しさから更なる努力と精進によって、目標の順位と昨年の記録を超えられた事をポジティブに考えています。また、三年間、日々の努力のひとつひとつに全力で取り組み、目指していた舞台でその成果を示せた事に自身の成長を感じました。
 最後となりましたが、部活動の先生方をはじめお世話になった皆様、このような貴重な機会を与えてくださったことに感謝しています。3年間ありがとうございました。

 

情報システム部

全国高等学校情報処理競技大会を終えて
13H 高浦嘉寿輝

 7月日に東京水道橋の日本大学法学部本館で行われた第回全国高等学校情報処理競技大会に出場を果たすことができました。
 この大会に出場して、全国レベルとの差を思い知りました。顔見知りになった愛知県代表の同学年の選手は、既に基本情報技術者の資格を所持していました。私はITパスポートの資格すら持っておらず、レベルの差を感じました。その選手でさえも個人表彰では約200人の出場選手がいる中、上位位の入賞には届かなかったので、全国大会でのレベルの高さを強く感じました。大会終了後に、次の大会での再会を約束したので、来年も出場したいという気持ちを一層強く感じました。次こそは、自分が基本情報技術者レベルに到達し、全国大会で入賞できるように頑張っていきたいです。
 また個人出場ではなく、団体出場できるように部活動の仲間とお互いに精進し頑張っていきたいと思います。そのためにも今回の自分の悔しい経験を仲間に伝え、努力を重ねていきます。これからも情報システム部の応援よろしくお願いします。

 

ダンス部

コロナをバネに全国大会へ
2H 福島美唯奈

私たち3年が入学した頃は、コロナの影響で新入生歓迎会や、先輩方の大会も中止になってしまいました。なのでダンス部の演技を見ることがなかった3年ですが、私たちの代で、USAダンス大会1位を獲得し、全国大会へ出場することができました。曲の編集、振り付け、構成、衣装など1から全て私たちのオリジナルで作っており、作品が完成したとき、そしてその作品が全国へと行ったときの感動は忘れません。大会に向けての練習では空気が重くなりながらも、メンバー同士でアドバイスをし合い、改善方法をみんなで考えることで、さらに素敵な作品を作ることができました。目標を達成することの素晴らしさや悔しさなどたくさんの経験ができ、みんなの絆が深まったと思います。
ダンス部は礼儀作法もしっかりしており、練習量など体力的にも厳しい部活ですが、やり切った最後には泣いて喜んでくれる友達がいました。文化祭では「カッコ良かった」「感動した」と沢山の声をいただきました。その感動をもらい、与えることができるのはダンス部だけだと思います。
私たちのことを思い、親身になって考えてくださった顧問の先生や、大会やイベントがある度に応援しにきてくれた家族、いつもそばで支えてくださった先輩方や後輩、同級生のみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。
新型コロナウイルスの影響が少しずつ減りながらも、大会や学校行事などといった感染防止の規制は厳しくなり、思うように行かず、できることが限られたりと大変ですが、ダンス部の力あふれる元気さを忘れず、「常に全力、常に笑顔、常に感謝」をモットーに毎日の練習に励みます。これからも「KDC」の応援のほど、よろしくお願いします。

 

バトン部

コミュニケーションとチームワーク
1H 吉﨑文香

 私たちバトン部は、一年生三人、二年生四人、三年生三人の合計十人で活動しています。新入生歓迎会、文化祭、三年生を送る会などの学校行事でバトンを披露しています。
 日々の練習時に大切にしていることは、全員の動きを揃えることです。手足の向き、高さ、角度など細かいところを揃えることで全体がとても綺麗に見えます。そのため、部員同士で確認したり、全体で踊る時には前から見て学年問わず注意し合います。しかし、何度練習しても揃わない部分もあります。そんな時は、曲の切れ目や歌詞を目印にし、投げるタイミングを合わせたり、曲のリズムで手足の動かし方などが揃うよう工夫しています。バトンの技は一人でできるものもあれば全員で行うものもあります。一人技は自主練習をして落とさないよう意識できますが、全員技は投げるタイミング、高さ、位置、速度が揃わないと成功しません。なので、日々の練習で相手の取りやすいバトンを投げれるよう意識すると成功率が上がります。こうして一つ一つの技の完成度を高めてきました。
 私たちは部員とのコミュニケーションを積極的にとり、仲を深めていきます。時には苦戦することもありましたが、部員同士で励まし合い、乗り越えてきました。この時に、全員のチームワークの素晴らしさを感じました。私たちの演技で見てくれている人たちを笑顔にするということが私たちバトン部の目標です。

演劇部

後悔しないための挑戦!
7H 池田歩武

 私たち演劇部は一年生六人、二年生十人、三年生二人で活動しています。一週間のうち平日は四日、休日は一日の計五日、多目的教室で練習しています。柔軟や体幹トレーニング、発声練習を基礎とし、他にはエチュードと呼ばれる即興劇や動きをメインにしたマイムの練習、感情解放など様々な練習をします。また、公演が近いときは、公演に向けてその劇の稽古を主に練習します。
 例年の演劇部の活動は、校内では新入生歓迎会、新入生公演(新入部員による公演)、文化祭、三年生を送る会の四公演と、郊外では他校を含めて夏と冬に合同発表会、秋に大阪府高等学校演劇研究大会の三公演を行っています。コロナ禍で、以前のようにはいかないことも多かったですが、今年度は新入生歓迎会、文化祭、合同発表会で上演できたことが嬉しかったです。
 演劇部では入部後、役者か裏方かのどちらかを決め、それぞれの技術を高めるために練習を重ねます。上演回数が多いほど、経験を積んで上達していきます。今年の文化祭では、私たちがやりたいことを詰め込みました。マイム(身体や表情で表現する)や大道芸、ショートコント、お便りコーナーなどです。文化祭の時期と演劇研究大会の地区大会の時期が重なり、時間がない中でも、より良いものをという思いで作り上げ、当日の客席の笑い声や拍手に達成感を味わいました。
 今年度の地区大会は、OBに台本を依頼して書いてもらい、大阪府大会進出をめざして挑みました。出場しているどの高校もレベルが高く、それぞれの学校のカラーを出そうと一生懸命なのが伝わりました。本校は、個人演技賞を一名が受賞できました。しかし、大阪府大会への出場には至りませんでした。力を出し切り、精一杯取り組めたので後悔はありません。
 三年生は地区大会を最後に引退しました。一・二年生には地区大会での経験を糧に、今後の公演に活かしていってほしいと思います。

 

軽音楽部

音で繋ぐ大きな輪
8H 上村恋奈

 私たち軽音楽部は現在、約六十名で放課後に活動しています。部員のほとんどは初心者でしたが、先輩方から上手になるコツやアドバイスをもらったり、同級生同士で教えあったりしながら練習すれば、約一ヶ月程度で一曲演奏することができるようになります。
 軽音楽部の主な活動は、校内で行うものと校外で行うものの二つに分けられます。まず校内での主な活動は「新入生歓迎会」、「文化祭」、「3年生を送る会」など生徒の前で演奏を披露するものと、夏休みには部内の全学年でミックス編成のバンドを組んで行う「お披露目会」という演奏会を行っています。校外の活動は、他校との交流を図ることを目的として演奏を披露し合う「対バン」や、泉州地域の各学校の軽音楽部が集まって実力を競い合う「フレッシュサウンドコンテスト」に出場しています。今年は「スニーカーエイジ」という大会で地区予選を通過し、大阪予選に出場もしました。これらの校外活動では他校との交流で人の輪を大きく広げることが出来ます。どんなジャンル好き、このアーティストが好き、など色々話が弾み仲が深まります。それ以外にも他校の演奏を聞くことによって、部員にとってもいい刺激になります。
 今年もまた、新型コロナウイルスの影響で普段のようには上手く活動することが出来なかったのですが、感染対策を行いつつも次の行事に向かって日々努力していこうと思います。

 

吹奏楽部

音で繋ぐ大きな輪
1H 原木南瑠

私たち吹奏楽部は一年生五人、ニ年生五人、三年生六人の計十六人で活動し、日々練習に励んでいます。今年度は、昨年や一昨年のコロナ禍に比べて、郊外での出演依頼も多くしていただきました。通常に戻りつつあり、演奏する機会に恵まれ、感謝しています。
私たち三年生は、新型コロナウイルスの影響を特に受け、一年目の吹奏楽コンクールは中止。初舞台は文化祭でした。高校で初めての演奏会が秋となり、舞台上で緊張したことを、今でも覚えています。今年度は、夏のコンクールに出場することができました。そのため、毎日一生懸命に練習に励みました。とても大きな会場での演奏となり、貴重な経験となりました。大会結果は、目標には届きませんでした。しかし、この経験を活かして、後輩たちには来年度挑戦して目標達成して欲しいと思います。
私たちは現在、一月十四日に浪切ホールで行う予定の定期演奏会に向けて、取り組んでいます。この部隊が三年生最後の舞台となるので、素晴らしい演奏会となるように部員一丸となって頑張っています。この三年間はとても充実した日々でした。辛く苦しい時がたくさんありましたが、それを乗り越えることができたのは、一緒に演奏してきた仲間たちのおかげです。吹奏楽部に入部したことで、たくさんのことを経験し、多くのことを学びました。この充実した日々は私たちにとってかけがえのない思い出です。
私たちが引退した後、大変なこともあると思いますが、後輩たちが楽しく吹奏楽ができることを願っています。


 



久井 孝則 第十九代校長

私のセカンド・ライフ

 

 十年前、三十五年間勤務した産高を定年退職しました。「定年後の第二の人生をどう送るか」、私が選択したのは大学院に入学するという道でした。別に大学の先生になりたかった訳ではなく、大学院で自分の残りの人生をかける仕事、ライフワークを見つけるためのものでした。ライフワークは、報酬はありませんが、定年退職もなく
自由気ままな仕事です。そんな夢の実現のため、退職と同時に和歌山大学大学院経済学研究科修士課程に入学しました。六十歳の大学生です。


 大学生活の最初の壁は研究テーマを何にするかという問題でした。四十五年前、私の教員人生は産高の簿記教師からスタートしました。なので、何か簿記会計に関する研究をしたいと希望したところ、簿記の先生のゼミに入ることができました。大学院の学生は必ずどこかのゼミに入って、講義を受けながら指導教官の研究指導を受けます。私の指導教官は、驚いたことに、私より二十五歳年下の女性准教授で新進の簿記学者でした。しかもゼミ生は私一人だけ。准教授は、フランス簿記の歴史を研究されている方で、この先生から『福沢諭吉の簿記を研究テーマにしては』とアドバイスを受けました。 産高で同窓生の皆さんが学んだ簿記は、複式簿記と呼ばれるもので、十三世紀頃にイタリアの商業都市フィレンツェで生まれ、欧米に広がったものです。そして約四百年後、明治維新の文明開化の一つとして福沢諭吉にって日本に紹介されました。福沢諭吉は、一万円札の肖像で、明治最高の啓蒙思想家・教育家です。私は明治の偉人が複式簿記に係わっていたことに、興味を持つと共に大きな感銘を受けました。この時、私のライフワークは「明治の複式簿記導入史」の研究となり、今も続けています。百五十年以上前の歴史なので、明治の難解な文献を読む作業には大変苦労しましたが、これまでの宮仕えではなく、自分だけの勉強に取り組むという毎日は、新鮮で充実感に満ちたものでした。そして、平成二十八年三月に修士学位を授与されました。


 そして次に目指したのは、博士学位です。それには、あと三年間大学院で学ばなければなりません。しかし、和歌山大学大学院には博士課程がないという壁が立ちはだかりました。このため、独学で研究を続けながら、受け入れてくれる大学院を探し、一年後縁あって桃山学院大学大学院経営研究科博士課程に入学することができました。桃山学院での指導教官は、男性教授でしたが、私より二十歳年下で、ここでもゼミ生は私一人でした。博士課程の研究は、修士課程に比べてはるかにレベルが高く、博士論文も十万字以上の字数が必要でした。四百字詰めの原稿用紙で二百五十枚以上です。初めはそんなに長い論文が自分に書けるのか全く自信がありませんでしたが、最終的に約十三万字の博士論文が完成し、令和三年三月、六十七歳で念願の経営学博士になることができました。博士論文には苦しみましたが、桃山での大学院生活は、他ゼミとの交流もあり、コンパや夏合宿など楽しい思い出もあります。


 桃山の大学院在学中に、寝屋川市にある摂南大学から教職課程の商業科教育法の講義を持ってもらえないかと懇願されました。研究をライフワークと決めていたので、他の仕事をする気はなかったのですが、商業科の先生を目指している人を育てることは、長年商業科教員をしていた私の「商業教育への恩返し」になると思い引き受け、今年で摂南大学の非常勤講師七年目となります。


 福沢諭吉は、明治の大ベストセラー『学問のすすめ』の中で、今勉強しなければならない学問は、日常の生活に役立つ実学であると断言し、実学の学問として「帳合の仕方」すなわち複式簿記を例にあげています。以来、百五十年間にわたり「商業教育は実学なり」の理念は産高の商業教育に継承されています。
 私は、産高で商業教育に携われたことを誇りにしながら、只今セカンドライフを楽しんでいます。

 


 
河合 建緒 昭和57年3月産全卒

賑わいと活力を創造するまちづくりへ

 

 同窓会会員の皆様には益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は産高発展の為、OBの皆様には熱意とご尽力に深く敬意を表します。今回私事ではありますが、今年4月の統一地方選岸和田市議会議員選挙に於いて当選させて頂きました。皆様にはこの場をお借りしまして御礼申し上げます。ありがとうございました。私も産高OBまた市議会議員として市民のメッセンジャーとなり、市民の声を議会に反映させていけるよう一生懸命仕事させて頂きます。今後ともよろしくお願いいたします。前回初の選挙を経験し苦い結果となりましたがとても良い経験をしたと思っております。今回は前回の敗戦結果を踏まえ早くから後援会を立ち上げ何とか当選した次第です。さて、この5月から議員生活が始動し約半年経ちましたが岸和田市の現状が少しずつ見えて来て泉州地域でも岸和田市の一昔前は周辺市を引っ張って行くぐらい発展して行っているように思っていましたが、平成に入ってからは少しずつ経済も下降線をたどるようになりいつの間にか他の市に追い越され下位の状態で推移しているように思います。新型コロナウィルス感染症が発症して以来この4年間で市の大きなイベントは中止、市民活動団体主催のイベントも出来なくなりましたが、今年5月にコロナも感染症法上の位置づけが2類から5類に引き下げマスクも自由化となり、さあこれからという時にイベント等の実行委員会も解散となり疲弊して行くばかりです。このままでは泉州地域の中でもどんどん取り残されて発展どころか衰退の一途をたどり人口も年々減っていく一方です。私はこの6月に初の本会議を経験しましたが、先輩議員に色々聞きながら一般質問をさせて頂きました。これから失ったイベントを復活させ市の活性化を図りそれを起爆剤にして経済が回るよう昔の賑わいあった岸和田市を取り戻したいという思いから「賑わいと活力を創造するまち」という内容で質問をしました。これを今後実行していけるように頑張ります。2回目の本会議9月議会も終わりましたが本会議というのは入るまでの数日間で質問内容を事前に行政とすり合わせをして本会議までにはシナリオが出来ているような状態で、初回の本会議では自分の発表する当日かなり緊張して何を言ったのか分からないぐらい極度の緊張を経験し、良い刺激になりました。今回の9月議会は1回目議会の時より少し慣れたように思いましたがそれでも緊張しました。やっと議会も終わったと思いきやだんじり祭り開催で、その後、委員会や政策討論会、会派、委員会の視察等々で議員の仕事は色々やる事が多く大変と感じている所です。年内はボラティア活動やイベント立ち上げ等で多忙となりますが、これからは市民の為、自分のやるべき仕事をしっかりとやって市民の皆様に喜んでもらえるよう岸和田市再興目指して粉骨砕身頑張る所存です。

 

 

第40回記念・産友会ゴルフコンペ

第40回記念・産友会ゴルフコンペが岸和田カントリー倶楽部で開催されました。

廣谷静一郎会長(昭和38年卒業)を始め、参加者25名が快晴のもとでゴルフを楽しみ、その後に会食を交えた親睦会・結果報告をしました。

現在は、昭和38年卒~昭和52年卒のメンバー約30名ですが、新メンバーを募集中です。

(参加希望者は:山口一雄 TEL 090-1595-7844 まで連絡下さい)

【ゴルフコンペ順位発表】

優勝:桜井寿文(昭和40年卒業)

2位:寺田秀雄(昭和43年卒業)

3位:山本英之(昭和49年卒業)

写真は40回記念大会参加者全員と最高齢の昭和39年卒業グループ1組目からのスタートです。

次回は、関空ゴルフ倶楽部にて7月20日(木曜日)開催予定です。

 

 

令和5年3月2日 卒業式

令和5年3月2日 卒業式(全日制)
令和5年3月2日 卒業式 卒業証書授与式(全日制)
令和5年3月2日 卒業式(定時制)

令和5年3月2日 卒業式 卒業証書授与式(定時制)

 

「令和四年度 同窓会総会のご案内」

令和四年11月26日(土)

レストラン日本

懇親会費 4,000円(学生 2,000円)

〈総 会〉18時から
〈懇親会〉18時半から
大阪府岸和田市上野町西11-1

電話 072-437-2801

卒業生ならどなたでも参加OK!

【連絡先】同窓会事務局(産業高校事務局)

電話 072-422-4861

同窓会報をもって総会通知とさせていただきます。参加券をお持ちでない方は、当日受付でお求めください。たくさんの景品が当たる抽選会を開催。 多くの卒業生のお越しをお待ちしています。準備の都合等がありますので、なるべく事前に事務局までお申し出ください。

 

 

「講堂と体育館」(現、第二体育館)

我が岸和田産業高校校庭の一角に近代的建築美を放つ建物が昭和17年(一九四二年) 105坪の講堂が建てられていま した。(当時の講堂写真を見付けましたので思い出して下さい。)この講堂は、入学式、卒業式或いは講演会、映画会に、 或いは雨天体操場として昼となく夜となく十二分に活用されていました。現在は、英語 CALL 教室・書道教室・家庭科教室と変貌しています。 生徒数の増加につれて全生徒を収容することが困難になってきたのとあわせ、創立周年記念の行事として、同 窓会、PTA、学校側との三者の代表によって新体育館を 贈物とすることが決定されました。そして昭和 年9月見 事に竣工してから約 年もの長きに渡り講堂兼体育館として利用されてきましたが、令和4年9月末をもって閉館 が決まり、令和5年には岸和田市から取壊しが決定しています。(工事日は未定) 今まで第二体育館として活用されていましたが、当時としては中沢校長の設計による画期的な全く型破な総坪数 2169坪の理想的で自慢の建物だったそうです。(体育室、ステージ、放送室、応接室、体育教官室、衛生室、運動具 室、椅子保管室と講堂兼体育館を設備された) 同窓生の皆様には、体育授業、バスケットボール部、バレーボール部、その他の諸クラブの雨天練習場としていろいろとお世話になったことでしょう。 この機会にお時間のある同窓生の当時ご利用された皆様には、取壊し工事が始まるまでに是非一度産業高校を訪問してみて下さい。

 

 

「時の声」定時制に学んで

森 繁 昭和三十四年 産定卒

明治四十年六月二十五日、思成会付属私立岸和田実業 補修学校として夜学でスタートした母校定時制商業科 に、私は、昭和三十年四月に入学しました。 その時の校長先生は、昭和三年オランダのアムステル ダム市で開催されたオリンピックに棒高跳びの日本代表 選手として出場し、六位入賞した中澤米太郎先生でした。 入学した時、我々は百名を越える仲間がおり三クラスありました。入学式の日、中澤先生は、足早に壇上に上がり、我々を見回したあと、大きな声で「君たちの根性は決まっているか。」と述べられた。続けて「今日入学した百余名のうち三割近い者は中途で脱落するだろう。 夜学で学ぶとはそれほど厳しいのだ。」とも言われた。 私はその時の格別の緊張感を今もって忘れることができない。 四年後、卒業した時は、校長先生の予言どおり、八十名程に減っていた。 私は、昼は農業に従事し夜学に自転車通学しました。 当時全校生は四百名程おり、自治会(学友会)活動もしっかりした組織のもとに運営され、又、部活動も文化・体 育共にいろいろなクラブがあり、府大会等で優秀な成績 を上げている生徒も数多く輩出していました。 もちろん校内では、クラス対抗の競技も陸上やソフトボール等が実施されましたが、ある年、相撲大会に特別 に先生チームが参加され、三人の先生が廻しを締めて土俵に上がった時は、土俵周辺に多くの生徒が集まり、大いに盛り上がりました。 私は、四年間活気のある学校での生活を送りましたが、 ご指導下さった先生方には感謝の気持ちで一杯です。特に四年生の時の舘長賢先生は忘れることの出来ない先生です。 先生には、吉田兼好の徒然草を教えて頂きましたが、 先生は徒然草全編を流れる思想は無常観であると強調され、我々定時制に学ぶ者は勉強時間が少ないのだから、 今という一瞬を大切にせよ。明日があると思うな。と言葉に力を入れて語られた。 私は、その年、四十二歳の母を病気で亡くしましたので、いよいよ徒然草の言葉に引かれ、愛読書の一つにな りました。 私が定時制に学んで六十数年の歳月が流れました。又、 まもなく学校が創始されて百二十年の歴史を数えることになりますが、現下の定時制を取りまく環境は誠に厳しいものがあり、令和四年の入学生はわずかに十三名とのことです。 ことし九月初旬、市民センターの一画で「産高定時制だより」という広報誌を見付けました。そこに「学びのレール」のスタートや「ハングル」語の学習のことなどが書かれており、定時制存続のためにご努力頂いていることを強く感じました。卒業生のひとりとして生徒確保 のため、先生方には一層の知恵を出して下さいますようお願いします。

 

 

「進路だより」令和3年度の進路状況

新型コロナの影響を考え、進学して資 格や高度なスキルを身につけてから社会 に出ようと進学を選ぶ生徒が増えまし た。公務員は、1名が国家公務員(税務職員)と大阪府職員(行政)にダブル合格しました。消防や警察の試験に挑戦した生徒もいましたが、競争率が高く、涙を飲みました。

 

就 職

新型コロナの影響で求人数が減ること を想定していましたが、校内選考を実施 する時点での求人数は219名149社ありました。学校就職希望者数が減少したこと で、求人倍率は4.3倍でした。 一次内定率は82%(前年度84%)で、8割超の内定率を維持できました。職種別では事務職と製造職に就く者で計43名 になり、学校就職者の7割を占めます。 企業の採用担当者の方からは、筆記試 験で高得点であったことや面接での受け答えがしっかりとできたことを評価したとお聞きしました。さらに、本校は会社が求める人物像に適った生徒を推薦しているので信用できるとのありがたいお声もいただきました。

 

進 学

令和3年度卒業生においては、国立大学である和歌山大学に2名、滋賀大学に1名、大阪公立大学に1名が合格しました。私立大学では関西大学1名、近畿大学3名、摂南大学1名、追手門学院大学3名、桃山学院大学10名等、多くの大学に合格しました。大学進学者が前年度より27名も増え、指定校推薦は校内選考の段階で厳しい競争になりました。 合格へのカギは、生徒の持つ能力や特性 を生かす入試を選び、挑戦することです。その一つが検定です。上級の検定を取得していることで、例えば全国商業高 等学校協会や大阪府高等学校商業教育協 会の推薦を得て大学受験できました。また和歌山大学経済学部では、新たな推薦入試として日商簿記2級もしくは全商簿 記1級を取得していることを条件とした 学校推薦型選抜が実施され、本校では1 名が合格しました。 短期大学進学者は前年度より10名減り ましたが、幼児教育や栄養、歯科衛生、外国語などの学科に進みます。また、近畿職業能力開発大学校や港湾職業能力開 発短期大学校神戸校に併せて6名が進学しました。 専門学校進学者は前年度より7名減ですが、最も人数が多いです。本校の専門学校希望者はAO入試で早期に進路決定している生徒が9割に上ります。 看護・医療系の学校へ進学する生徒も 粘り強く努力を続けました。看護師、理学療法士、作業療法士、視能訓練士を目指し、大学・短期大学・専門学校併せて26名が進学しました。 

 

「母校ニュース」部活動紹介

アーチェリー部

私たちアーチェリー部は、現在男子7名、女子5名で活動しています。それぞれが目標を持ち、集中して日々の練習に取り組んでいます。また、ほとんどの人が高校から競技を始めるので、練習した分だけ上手くなります。他校生徒も同じ条件なので、努力をすることで全国大会出場や優勝を目指すことができます。全国大会では、色々な人と交流することができるので、とても楽しいです。 大会の楽しさと比べると日々の練習は大変ですが、今年度は「インターハイ団体出場、優勝」を目標に掲げ、部員一同頑張っています。

 

英語部

私たち英語部は3年生が夏に引退し、現在は2年生1人、1年生3人で、毎週火曜日と金曜日にコール教室で活動しています。普段はALTの先生と英語で話をして、楽しくスピーキングやリスニング力をつけながらコミュニケーションをとっています。また、英語のゲームを通して新しい単語を覚えたり、外国のイベントについて調べ異文化に触れたりもしています。 毎年夏休みに外国観光客にインタビューするフィールドワークには昨年に引き続き行けませんが、今年は専門学校で実施されるグローバル体験に参加し、身振りも交えながら英語でのコミュニケーションを楽しみました。今後もたくさん英語で会話し、上達できるよう頑張りたいと思っています。

 

演劇部

私たち演劇部は現在、2、3年生12名に新入部員として1年生6名を迎えて合計18名なりました。私たち演劇部は週5日、多目的教室で活動しています。普段の練習は柔軟体操・発声練習を基に、役者はエチュードと呼ばれる即興劇や動きに重きを置いたマイム等、基礎練習と公演に向けての劇の稽古をしています。裏方は、ノコギリ、紙ヤスリ、ビス、釘等を使って木材を加工し、装置を作ります。 これまでにはプロの講師の方をお招きしてご指導頂いたり、他校との交流会を行ってきました。感染防止対策を徹底し、この状況下でもできる練習を考え取り組んでいます。今までと同じ練習の質を保つことは簡単ではありませんが、日々励んできました。今年度はまず4月に新入生歓 迎会で上演でき、嬉しかったです。11月に行われる演劇研究大会、J地区大会では入賞を目指します。演劇は1人で完成させることができず、必ず誰かの協力のもとに成り立っています。これからも私たちは支えて下さる全ての方々への感謝を忘れず頑張ります。

 

家庭科部

私たち家庭科部は3年生9人、2年生2人、1年生4人の計15人で活動しています。活動は週に1回程度、調理実習をメインに行っています。 普段はあまり時間が取れないのでクッキーやカップケーキなどのお菓子作りを中心に、夏休みのように長時間実習が行える期間は、生地からこねた手作りパンに挑戦したり、和食や洋食のランチメニューなどの実習を行っています。 コロナウイルスの流行前は文化祭でシチューを作ったり、チーズドッグを作ったりして販売しました。現在はコロナウイルスの流行もおだやか になってきていますが、衛生面や安全に配慮しながら活動をしています。

弓道部

私たち弓道部は、現在男女併せて57人で活動しています。昨年、近畿選抜・全国選抜に出場し、近畿選抜では女子個人の部で優勝と準優勝を勝ち取り、男子団体の部で3位に入賞するという結果でした。一方、全国選抜では女子団体と個人男女1名ずつが出場しましたが、結果を残すことはできずとても悔しい思いをしました。この結果を踏まえて、私たちは「次のインターハイに出場し、近畿・全国ともに必ず入賞する」とい う目標を立てました。目標達成に向け、自分たちで今までより高い意識を持つ必要があります。そのため、一人一人が「自律」を意識して、周りとのコミュニケーションを大切にし、顧問の先生方や指導者の方からのアドバイスを聞いて、毎日が試合本番だというつもりで練習に取り組 んでいます。 新型コロナウイルスの影響により、例年と比べて練習や大会に、未だ制限がかかっている状況です。そのような状況でも、私たちは感染対策 を徹底し、指導者の方や顧問の先生方のご協力により、可能な範囲での練習をさせて頂いています。私たちを支え、応援して下さっている沢山 の方々への感謝の気持ちを、大会での結果で応えられるように頑張っています。

 

軽音楽部

私たち軽音楽部は、主に西棟1階のマルチメディア教室で活動しています。校内での主な活動は、新入生歓迎会や文化祭、三年生を送る会などの学校行事において演奏を披露したり、夏休みには部内の全学年でミックス編成のバンドを組んで、「お披露目会」という演奏会を行っています。校外での活動としては、他校の軽音楽部との交流を目的として演奏を披露しあう「対バン」や、泉州地域の各学校の軽音楽部が集まって実力を競い合う「フレッシュサウンドコンテスト」に出場しています。去年はコロナ禍で部員が集まる「お披露目会」はできず、校外での活動も制限され、例年のような活動はできませんでした。今年は、この悔しかった気持ちを忘れずに、今できる活動を大事に一生懸命活動したいと 思っています。

 

剣道部

剣道部は今年度より新たに三名が入部し、計五名で活動しています。未経験者も入部したことにより、活動日が週四日に変わりました。大会などで良い結果を残すために日々稽古しています。新型コロナウィルス感染症防止の制限もある中、他校との合同稽古を行うなど目標に向けて 努力をしています。

 

硬式野球部

昨年の8月より新チームが発足し、約10ヶ月が経過しました。少しずつ新型コロナウイルスの影響が減り、練習や試合が思うようにできていることに感謝しております。コロナ禍で感じた悔しい思いを糧に部員一同、一生懸命に努力しております。また、今年度は新入部員7名を加え活動を行っています。しっかりとした衛生管理に十分配慮し、安全に活動を行っております。また、私たちは野球だけではなく高校生として の自覚を持って私生活や学校生活に取り組むように、日頃から意識しています。勉強や学校行事等に積極的に取り組み、それを通して社会で通用できる人間になるよう励んでおります。このように日々練習ができているのは、多くの方のご協力・ご支援があってこそですので、その方々 への感謝の気持ちを忘れずに、期待に応えられるように精一杯取り組んで参りますので、今年度もどうぞ応援よろしくお願いします。

 

CGA部

私たちは月曜から金曜の放課後に活動しています。CGAとは、「コンピューター・グラフィック・アニメーション」の略称です。主にパソコンとペンタブレットという機器を用いて、デジタルイラストを描いています。 月に一度、部員皆で出し合ったお題に沿って絵を描く部内課題や、文化祭での販売に向けた作品制作、「高校展」と「ブロック展」という年に2回ある展示会に向けた作品制作など、お互いに助け合いながらワイワイ楽しく活動しています。 一昨年は感染症拡大防止の観点から中止になった高校展も昨年度は実施されることになり、作品を出展することができました。しかし、残念 ながら賞を取ることはできませんでした。しかし、今年度の高校展では奨励賞を受賞することができました。この勢いに乗ってブロック展でも賞を取ることを目標にし、これからも趣味や好きなことを共有することで交流を深めながら、より良い作品を作るように、メリハリをつけて頑張りたいと思います。

 

茶華道部

茶華道部は、毎週月曜日と金曜日に活動しています。お点前を中心に練習していますが、季節により「しつらえ」、作法が変わり、学ぶことが多いです。季節やイベントに合わせてお花も生けています。日本の伝統である茶道と華道が経験できます。 文化祭では、毎年お茶会を開催し、お客様に日ごろの成果を見てもらっていますが、昨年度は、展示部門として書道部の作品と私たちの生け花をコラボレーションし、展示しました。部員一人ひとり違うお花と花器を用意し、個性豊かな作品になりました。 コロナウイルス感染症の流行による制限の多い生活ですが、文化祭での展示を目標に、今まで以上に楽しく活動しています。これからも作法 を身につけ、楽しいクラブ生活を送りたいと思います。

 

サッカー部

サッカー部は現在、3年生4名、2年生11名、1年生6名、マネージャー4名の合計25名で活動しています。 部員全員が一生懸命に練習をおこなっていますが、練習できるスペースがあまり広くなく、思うような練習ができない時もありますが、市民戦やリーグ戦で 勝てる回数が増えてきています。しかし、春のIH(インターハイ)では、私立の高校と当たり、強豪校と僕たちの実力の差を見せつけられ、先生も含めサッカー部全員が悔しい思いをしました。これからも日々の練習に努力を重ね、悔いの残らないようにしたいと思います。

 

写真部

写真部は、主に文化祭で写真の展示などを行っています。写真は今の時代、スマートフォンで撮ることができますが、フィルムカメラではまた違った風情のある写真を撮影できます。自分の好きな瞬間を好きな形に残せるのが「写真を撮る」と言うことだと思っています。今年度は、一人ひとりそれぞれ違う様々な思い出をたくさん残していきたいです。

 

珠算部

私たち珠算部は、現在2年生3人で活動しています。活動目標は主に、ビジネス計算実務検定1級の取得と全国大会出場です。大会はかけ算と割り算の計算 の速さを競うものもあれば、利息や売買取引、減価償却に関する難しい内容の応用計算もあり、いかに難易度の高い問題を効率よく解けるかが大事になってきます。10年前を最後に、全国の舞台から遠ざかっていましたが、昨年度に先輩方が念願の出場を果たしました。今年度は出場権を逃しましたが来年度の出場を目指して頑張っています。

 

柔道部

僕たち柔道部は、第一体育館階段下の柔道場で活動しています。活動日は水曜日を除く毎週月曜日から土曜日です。今の部員数は3人しかいません。部員は少ないですが、毎日楽しく練習しています。練習内容は、主に打ち込みや投げ込み、筋トレをしています。

 

書道部

私たち書道部は、一年生二名、三年生九名の計十一名で、毎週水曜日と金曜日の放課後に東棟一階の書道教室で活動しています。 文化祭での展示発表や、各種コンクールでの入選を目標にしながら、日々練習に励んでいます。部員の中には、初心者として書道を始めた人も数名いますが、一生懸命練習する部員各自の努力と、先生の熱心な指導によってあっという間に上達し、昨年のコンクールでは全員入賞という快挙を成し遂げました。ま た作品制作以外に、時々レクリエーションも行うので、先輩後輩関係なく仲良く、いつも和気藹々と活動しています。 書道の魅力はたくさんありますが、楷書や行書など様々な書体を自分で選んで挑戦できることや、集中力を高められること、達成感を味わえることなどが挙げられます。書いている途中に失敗しても訂正したり切り貼りしたりすることができないので、神経を筆先に集中し、試行錯誤しながら自分が納得するまで書き続けます。一枚仕上げるのに数十分かかることもあり大変疲れますが、集中力を養った経験は読書や勉強面でも役に立つと思います。 また、作品を仕上げた後に裏打ちとパネル作りを部員で協力して行うので、チームワークと達成感を実感でき、とても楽しいです。尚、今年は新たな試みとして、三年生で縦横数メートルの大作品にも挑戦し、展示発表する予定です。

 

女子バレーボール部

私たち女子バレー部は、人数が少なくて試合に出るのが難しい状態ではありますが、毎日顧問の先生方に厳しいご指導を受け、練習に励んでいます。先輩方 が引退されてから人数が足りず、練習試合も組めなくて公式戦もすべて棄権となりました。練習する毎日は決して楽ではなく、個人のスキルアップを目標にしながらもモチベーションを保つのに一番苦労しました。けれどその経験があるからこそ、今の自分達があるのだと思っています。人数がいることや、日々練習 できることに感謝しようと思いました。これからも、感謝する気持ちを忘れず日々の練習に取り組んでまいりますので、応援のほど宜しくお願い致します。

 

情報システム部

私たち情報システム部は、情報処理競技大会や近畿地区大会、全国大会を目指して日々練習を部員全員で頑張っています。他にも情報処理検定やビジネス文書検定など、進路や就職に活用できる検定の講習を受けることができます。大会ができるようになるまでコロナが落ち着き、3年ぶりに近畿大会へ出場することができました。これを機に自分たちのモチベーションを上げることによって、全国大会に出場することができました。学年関係なく楽しめる部活を維持した いと思っていますので、私たち情報システム部をどうぞよろしくお願いします。

 

吹奏楽部

吹奏楽部は去年と同様、新型コロナウイルス感染拡大防止の影響により入学式入退場の演奏を行わず、事前に録音し音源を流していただきました。また、新入生歓迎会では、1年生の前で演奏をすることができました。また、7月に行われた吹奏楽コンクールにも参加しました。10月には文化祭や体育大会で演奏 を、2月には3年生を送る会もあり、学校行事での演奏に力を入れています。 3年生は来年1月14日(土)に浪切ホールで行う定期演奏会で引退します。他の部活動と比べると少し遅い引退になりますが、目の前のことを一生懸命頑 張りたいと思います。

 

ソフトボール部

ソフトボール部は、現在、平日の水曜日と金曜日の放課後にグラウンドで活動しています。 人数は少ないですが、みんなで楽しく活動しています。未経験の人も多いけど、少しでも技術を磨きいいプレーができるように頑張っています。

 

卓球部

卓球部は現在3年生6人、2年生5人、1年生3人の14人で活動しています。練習は火・木曜日以外の平日の放課後17時半まで、土曜日は9時から12時までしてい ます。学年・男女問わずに仲良く、楽しみながら練習しています。初心者として卓球を始めた人たちも、経験者に教えてもらいながら試合に出て勝てるように 頑張っています。試合にはシングルス・ダブルス・団体の3種目があります。練習試合でも色々なタイプの相手と試合ができて楽しいです。卓球部の目標は近 畿大会出場なので、これからもその目標に向けて頑張っていきます。

 

ダンス部

ダンス部は3年生8人、2年生2人、1年生3人で活動を行っています。数々の大会やイベントに参加しており、昨年は全国大会への切符を掴み取ること ができました。目標を達成することの素晴らしさや悔しさなどたくさんの経験ができ、みんな絆が深まったと感じています。またダンス部ではダンス以外にも学ぶことがあり先輩・目上の方などへの言葉遣いや、後輩への気配り・接し方などといった礼儀作法が身につく部活動だと思っています。 今年度は、新型コロナウイルスの影響が少しずつ減りながらも、大会や学校行事などといった感染防止の規制は厳しくなり、思うようにいかずできることが限られたりと大変ですが、ダンス部の力あふれる元気さを忘れず「常に全力、常に笑顔、常に感謝」をモットーにして日々の練習に励みます。

 

テニス部

テニス部では現在、3年生が10名、2年生が12名の男女計22名で活動しています。公立の高校では珍しく、人工芝のオムニコートを使用して練習を行っています。 ここではテニスの技術だけでなく、礼儀なども学んでいます。部員同士でアドバイスをしあったり、顧問の先生からもアドバイスをもらったりして、大会の本戦に出られるよう日々一生懸命練習に取り組んでいます。 僕はこの部活動に入って良かったと思いました。なぜなら、毎日を楽しくしてくれるとても良い仲間に出会えたし、他の学校の人とも関わって、色々なことを教えて頂いたりして、部活動に入っていないと味わえないような時間を過ごしてきたからです。この時間がもう少しで終わると思うと、とても寂しく思いま す。なので残り少ない活動期間を大切にして過ごしていきたいと思います。

 

バスケットボール部

こんにちは、バスケットボール部です。各種団体、各関係者の方々、いつも応援ありがとうございます。私たち女子バスケットボール部は、人数は少ないですが一人一人が自分と向き合い、支え合い、高め合うことを通して日々少しずつ成長しています。今のチームの強みは「粘り強さ」です。ウィンターカップ予 選三回戦出場に向けて一日一日の練習を大事にし、全力で取り組んでいきます。 現在、コロナの影響もありOG・OBの方々とはお会いできない日々が続いておりますが、また交流できる日を楽しみに練習を続けたいと思います。私たちの活 躍がみなさまの耳に届くように頑張ります。

 

バトン部

私たちバトン部は、新入生歓迎会や文化祭、3年生を送る会などで演技を披露しています。そのため日々新しい技に挑戦していますが、ただ技を練習するだ けでなく、1つ1つの動作を細かいところまで揃えることを大切にしています。お互いの演技を見合って、タイミングが違ったりすると学年を問わず注意し合 い、さらに良い演技を作り上げています。 練習時には手足の向きや角度、高さまで合わせる努力をしていますが、何度練習しても揃わないときもあります。そんな時は励まし合い部員全員で乗り越え てきました。私たちは共に乗り越えてくれる仲間の大切さと、全員で力を合わせて1つの演技を作り上げる素晴らしさを日々の練習で感じています。次の発表 では、自分たちの演技を最大限に発揮し、見てくれている人も楽しくなれるような舞台にしたいです。

 

美術部

私たち美術部は、大抵おとなしいと思われている美術部のイメージを覆す、とても活発で個性溢れるアットホームな部活動です。 そんな私たちの主な活動は、「夏の高校展」や「冬のブロック展」に向けての作品制作、そして兵主神社に毎年奉納している絵馬の制作です。高校展では油 絵の具を使用して、夏休みの期間に大きなキャンバスに絵を描きます。ブロック展では、水彩絵の具やポスターカラー、色鉛筆、和紙などたくさんの画材を使って、絵画や版画、ランプなどを制作します。一昨年にはコロナ禍による展示会中止が続きましたが、昨年から作品展などは再開してきましたが、なかなか以前 のような状態での開催はまだ難しいのが現状です。少しでも前のような形に戻ることを願いつつ、より良い作品を制作していこうと思います。

 

簿記部

私たち簿記部は現在、2年生2人、3年生8人の計10人で活動しています。新型コロナウイルスの影響で制限されていた部分が少しずつですが緩和され、今年度 は私たち3年生にとって初めてとなる他校との合同練習を実施することができました。このように日々、大会や検定取得に向けて頑張っています。

 

放送部

私たちはお昼の放送や放送朝礼、産高祭や3年生を送る会、新入生歓迎会などの音響・アナウンス・実況・照明など、学校行事や生活に深く関わっている部活 です。ここ二年間はコロナウイルスの影響でコンテストなどに参加することができませんでした。今年こそは参加したいと思っています。

 

陸上競技部

陸上競技部は現在、男女合わせて18名で毎週月曜日から土曜日に活動をしています。部員の仲はとても良く、みんなで助け合いながら、そしてお互いに高 め合い切磋琢磨して練習を行っています。普段の練習は、各種目のパートに分かれて顧問の先生が考えたメニューをこなしていますが、自分で考える力を養う ために、大会前には自分で練習内容を考えて練習をすることもあります。陸上は個人競技だと思われがちですが、実はとてもチーム力が重要な競技です。試合 中、チームメイトからの声が聞こえれば、普段の練習では出せたことのない力が湧き上がってきます。そして、しんどい練習を仲間と越えてきたからこそ、ベ スト記録が出ると仲間全員で喜んだり、涙も出ます。それが陸上の面白さだと思います。 いつも私たちのために支えて下さっている顧問の先生方、家族に感謝の気持ちを込めてチーム一丸となって頑張りますので、応援よろしくお願いします。

 

商品開発クラブ

私たち商品開発クラブは、現在3年生4人、2年生2人、1年生10人で活動しています。商品開発クラブの主な活動は、地元特産物を使って商品を開発し、それ を実際にお店で販売をして、地元特産物を様々な人に知ってもらうことです。今まで開発した商品は、泉だこに合う万能調味料の「みそこんぶもん」。そし て、和泉のみかんを丸ごと使用したペースト入りの「和泉みかんまじぇらーと」などです。「和泉みかんまじぇらーと」は新聞や、テレビなどメディアでも多く紹介されたクラブ自慢の商品です。現在、泉州きくなを使用した「きくなクッキー」を開発中です。完成した際には是非、食べてみてください。 その他にも、毎年生徒商業研究発表大会に参加しています。この大会は商品開発した過程を研究材料とし、それをプレゼンテーション形式で発表する大会で す。昨年度は全国大会ベスト4に入賞することができました。今年も全国大会入賞を目指して頑張っていますので、応援よろしくお願い致します。

 

「母校ニュース」部活動 各大会で大活躍!

硬式野球部

日頃より、硬式野球部の活動に関して同窓会の方々にはご理解、ご協力を賜り感謝いたします。コロナ禍において制限がある中、活動を行っておりました。選手一同コロナに負けることなく、一生懸命練習に取り組んでまいりました。その結果、昨年度の秋季大会でベスト16、今年の夏の選手権大会では大阪学芸高校、太成学院大学高校の2校の私学を破りベスト16の結果を収めることができました。多くの同窓生の方からのお祝いの言葉や激励の言葉をいただき、改めて産高野球部の伝統を感じる次第でございます。 今年度の秋季大会は惜しくも3回戦で敗退となりましたが、来年の春季大会、夏の選手権大会に向けて部員一丸となり切磋琢磨していきますので、ご声援の程よろしくお願いいたします。

 

弓道部 主将、副将の最後の大会 2H高田 流唯

 この度、令和3年度全国高等学校総合体育大会弓道競技大会、第 回全国高等学校弓道地赤井に高田、兵野が出場し、兵野は予選敗退、高田は決勝敗退という結果となりました。 岸和田市立産業高等学校弓道部として出場する最後の大会でしたし、団体戦には出場できなかったので、 ほかのメンバーの分を頑張ろうと思っていたのもあり、とても緊張した大会でした。 兵野はあと一本のところで予選が通らず、自分自身ももうあと一本のところで入賞に手が届きそうな位置 にいたので、二人とも惜しい結果ではありましたが、 お互いやり切れたと感じたので、後悔はありません。 私は個人では1年生の頃から何度も入賞していたのですが、全国大会には出場することはありませんでした。引退のかかる最後の大 会でここまでいけたことがとても嬉しかったです。高 田・兵野の両名とも国体に大阪代表として出場することができるので、そこでも 頑張りたいと思います。今 回の試合に出場するにあたって、沢山の方々から応援 やご支援を頂きました。ありがとうございました。

 

弓道部 全国大会を経験して 13H 濵永 香穂

 わたしは中学生の頃、姉が部活動で全国大会に出し、 大舞台で活躍する姿をみ て、いつか自分も大舞台を経験してみたいと思っていました。 今回私は、全国選抜大会団体メンバーの補欠として正選手に選んでもらいました。正選手のメンバーから、「私が後ろにいることで、安心して弓を引くことができる為、補欠に選んだ」と聞き、私はとても嬉しい気持ちになりました。 それから、もっと仲間を支えられる存在になりたい、 という一心で練習に励みました。 本番当日は、観客席の一番前から射場にいる仲間を見つめていました。私はチームの出番が来た途端、体の奥から熱くなるのを感じ、先程まで羽織っていたパーカーを脱ぎました。一 本一本、仲間が矢を放っていく度に「中れ」と心の中で叫び祈っていました。団 体の結果は予選敗退となってしまいましたが、ずっと憧れていた全国の舞台へ実際に行くことができ、さらにあの舞台に立ちたいという気持ちが強くなりました。今回で得た経験を、次の3年生最後の試合で活かそうと思いました。

 

弓道部 リベンジ 13H 濵永 香穂

 私は、近畿選抜大会出場をかけた大阪での予選で個人優勝を目指していましたが、実現できず悔しい思いをしました。その悔しさをバネにし、今度こそ優勝を勝ち取りたいという思いを持ちながら日々努力しました。顧問の先生に協力してもらい、朝早くから放課後の遅くまで練習させてもらいました。大会前に部員たちが大会に出る選手たちのために応援の言葉をかけてくれて、私たち選手は凄く嬉しく、皆の分まで頑張りたいと思いました。 大会当日、朝早くから奈 良県の大和高田市立高田商業高等学校さんの道場で大会前に貴重な練習をさせてもらいました。先輩方が築いてきた縁があってこそだと思いました。これからも大切に守っていこうと改めて思いました。私は今回の大会で周りの存在のおかげでもあり、最後の一本まで諦めることなく優勝を勝ち取ることができました。仲間が一緒に喜んでくれてとても嬉しかったです。これからも今回の結果だけで満足せず、周りの存在を大切にし、もっと成長していきたいと思いました。

 

情報システム部 全国高等学校ワープロ競技大会に参加して 7H 豊田 穂香

 私たち情報システム部は、愛知県名古屋市の中小 企業復興会館で開催される全国高等学校ワープロ競技大会に出場するため、朝の8時30分に大阪難波駅に集合し、近鉄電車に乗って名古屋に向かいました。 会場に着くと既にたくさんの学校が大会に向けて準備や前日練習をしていました。私たちも機器の設置を済ませ、本番で試合メンバー全員が悔いの残らないように練習を始めました。 その後ホテルで1泊し、 いよいよ大会当日である8 月4日を迎えました。会場には前日にも増して緊張感が漂っていました。競技 は、あっという間の出来事 だったかのように感じます が、高校最後の部活動でとても良い経験をすることができました。 結果はあまり良くはありませんでしたが、私たちなりに全力を出し切ることができました。

 

ダンス部 全国大会に出場して 元11H現2H福島美唯奈

 私たちはUSA予選関西大会をヒップホップ女子部 門スモール編成で1位通過し、3月に行われた全国大 会へと出場しました。久しぶりの全国大会への 出場は感動と興奮でいっぱ いでしたが、本番の日が近 づくにつれてプレッシャーを感じるようになりました。普段の練習では空気が重くなったり、不安がこみ上げてきました。体力的に もきつい作品でしたが「もっと良くしたい!」という思いから振り付けを見直したり、部員それぞれが自主練、アドバイスをしあったり、テーマにあった表情をすることで迫力のある作品 を作ることができました。 そして、私たちは段々と自分に自信が持てるようになり、本番直前の舞台裏では みんな活き活きとしており、チームとしての成長を感じて不安は少しもありませんでした。また、そのときにみんなの「がんばれ」 という応援を思い出して先輩方の思いや、先生方、友達や家族の応援がありここまで来れたのだと実感しました。 これからも今回の結果だけで満足せず、周りの存在を 大切にし、もっと成長していきたいと思いました。 この経験から、これまでの練習の成果をさらに発揮し、もっともっと上を目指してもう一度みんなで全国の舞台に立ちたいです。

 

「産友会ゴルフを通じた親睦」

産友会会長 廣谷静一郎 (産全昭和 年3月卒)

 産友会は昭和36年~昭和42年度卒業の柔道部OBでの有志の集まりから始まりました。会合のメインはゴルフです。皆でプレーを楽しみあい、 親睦・交流を続けて来ました。当初の頃は、朝4時頃から奈良県、滋賀県、 兵庫県、和歌山県方面や遠いところでは岡山県辺りなどの少し遠方まで 足を延しておりました。しかし、段々とメンバーも歳を取るにあたり、近場のゴルフ場(岸和田、関空、岬、 泉佐野、泉南など)に変わってきました。また、回を重ねるにつれて柔道部OBだけに関らず、産校関係者やその他のOB・OGも参加して頂けるようになりました。最近は年に3回(3月・7月・11月) に集まり、岸和田CCと関西空港 GCで交互に開催し、皆で楽しく親睦を深めています。現在は昭和38年~昭和52年度の卒業生の男女メンバーですが、これからはもっと若いメンバーも加わって頂き、産友会を年齢を超えた、より親しみやすく交流を深める場にしていきたいと考えています。 産友会ゴルフにご興味のある方は、 当会の幹事であります山口一雄氏までお問合わせ下さい。新メンバーのご参加をお待ちしております。 産友会幹事 山口一雄 090(1595)7844

 

「同窓生を訪ねて」

古田 博(昭和49年繊全卒) 〜苦難の高校生活を原点として〜

沿革
・令和4年3月理学博士号取得 ・セントポール国際大学院卒 客員教授 ・宇宙科学技術研究所(株)(本社 大阪市大正区)

産友会ゴルフを通じた親睦 産友会会長 廣谷静一郎 (産全昭和 年3月卒)

代表取締役社長 ・理学博士 山口県下関市在住

・広島県宮島口 あなご飯店「うえの」の顧問

 私が何故博士号を取れたの か? 今でも不思議です。今は科学、物理的なことは解りますが 産高時代は野球ばかりしていて勉強は皆目できず卒業も危なく、 卒業間際に各科目レポートを提出して何とか卒業。昭和40年小学校3年になった4月1日から泉佐野市で新聞配達を始め、産高を卒業するまでの10年間、野 球をしながらの新聞配達はきつく授業中はいかに寝るかの3年間でしたから人生で一番きつい時期でもありました。ただ体力だけはあり、体育祭の1500mの記録は 50年間今でも破られ ていないとか。校内マラソン大会3年連続優勝を成し遂げたのも私が最初と言うことで昭和49年2月に体育教官賞として飯塚十郎先生から記念トロフィーを戴き今でも大切にしています。 繊維工業科で勉強した関係で 卒業後は滋賀県の繊維会社に入 りナイロン樹脂、漁網糸、釣り糸、ファスナーの糸の生産に従 事していましたがうまくいかず、 以後はタクシー運転手、金物問屋、ゴルフ場のウェイター、うなぎ屋、遺跡発掘など転々と職を変え昭和59年に住友特殊金属(株)(現日立金属)に採用され パソコン、携帯電話の心臓部を 作るIC基盤製造に従事。社内改善提案制度で1件につき百円の報奨金が出るので、子供の為、自分の小遣い稼ぎの為、毎月50〜100件程提出していたら面白い改善提案が数々あることに技術開発部が着目、直ぐに同部に配 属されましたが、京都大学工学部大学院卒業の人ばかりで研究はさせてもらえず200以上ある製造工程の使い走りの仕事ばかりでしたが、製造現場で気付いた 改善提案書を毎月100~150枚書き続けたのが今の私の科学、物理勉強の原点になりました。携帯電話、パソコンの心臓部を作ることなど職場で学ぶことが出来ラッキーでした。現在はIC基盤製造は海外に移転され国内で製造に関わることが出来ない時代になり今となれば貴重な経験でした。又、東日本大震災を切っ掛けにウラン、水素などの元素、 超電導、素粒子など、55才から理工学の勉強を本格的に始め、66才で理学博士号を取得する切っ掛けになりました。思い起こせば、昼は住友の技術開発部で、夜中2時から朝7時まで大阪茨木市の中央市場うなぎ屋さんで5年間アルバイトをし、たまたま食べたアナゴが美味しく魅了され、これが切っ掛けで水産業に転職。水産業界では誰も取り入れなかった体脂肪率計算での魚の選別方法を考案しアナゴ博士号を取得する切っ掛けとなりました。広島県宮島口「アナゴ飯うえの」さんのあなご飯は私が体脂肪率で改善し良いアナゴだけを仕入れたことで「アナゴ飯」日本一になりました。又、昨年から塩の研究をしていたら沖縄のサンゴ礁で天日干しした塩の成分が世界 一であることに着目。分析の結果ミネラル成分がサンゴ礁の リーフで滞留し、作られた塩にミネラルが多い事がわかり4年 6月1日世界調味料審査会(食品のミシュランガイド三つ星) のうち二つ星を取ることができ 塩博士に成れました。 今後は麻の成分CBDオイルが末期がんや痛風、アトピーなど薬で無いにも関わらず改善できている事に着目し麻の医療大麻の研究をしています。 学生の皆さん社会に出てからが本当の勉強です。無駄を無駄と思わずに一生懸命取り組めば切っ掛けも生まれます。在学中は基礎勉強です。皆さん焦らずに頑張ってください。

 

西口 雅彦(昭和 年全商卒)  〜噺家 桂 春若〜

 私は落語家の桂 春若と申します。決して怪しいモンではござ いません。どうぞしばらくの間、 お付き合い願います。 私は子供の頃から、東京の立川談志師匠のファンでした。高校在学中に弟子にしてもらおと、 学校をサボって日本テレビ「笑点」(当時は談志師匠が司会)の 公開録画を観に行きました。 楽屋口で待っていたんですが、他の師匠方は出て来はったんですが、肝心の談志師匠は仲々出てきません。仕方なく受付に行って聞きますと「もう帰らはりました。」「えッー!」遠い昔、昭和の話です。 高校生活のおススメは〝クラブ活動〝です。私は友人の関 君に無理やり誘われ、ボクシング部に入りました。当時、産高にはボクシングのリング、相撲の土俵場もありました。ボクシング部2人、角力部は1人しかいてません。私は中学時代、陸上部で痛めたアキレス腱を再び痛め退部しましたが、関本君はプロになり日本フライ級のランキングボクサーにまで成りました。落語家になってからでも陸上競技とボクシングの試合は、 よく観に行きます。これも〝クラブ〝をやっていたおかげやと思っています。 産高を卒業して、落語家に成ったのは昭和45年万博の年です。 卒業時には、もう三代目桂春団 治に入門が決まっていました。 と言うことで、私は高校での就職活動は一切やっておりません。 後に思ったのが、産高は結構就職には強い高校やと言うことです。同級生は高卒ながら一流企業や有名銀行に勤めていました。 時代は違いますが、今世間は就職が難しい状況やと聞いています。又、就職出来ても、入った会社がブラック企業と言うのも あるそうで、最も無職(色)の人から見れば、色があるだけ増シやと成りますが・・・・・ 落語家も最近は何をやってもアカンからと、年取ってから入 門して来はる人もいてます。 私が入門した時、大阪の落語家は50人足らず。それが今ではなんと270名を越えました。ハッキ リ言って、そないぎょうさん居る必要のない仕事なんです。ホンマ言えば8人ぐらいでも良之んです。8人ぐらいやったら毎日仕事ありますから。毎日仕事があると結構儲かるんです。何と言うても時間給の高い仕事ですから・・・・・。言うてる事、 解かって頂いてますでしょうか?解からん方は高座を観に来てください。 よろしくお願い致します。

 

古野 幸治(昭和36年全商卒) 〜簿記から陶芸へ〜

 岸産で3年間簿記、珠算をしっかり習って卒業する間際、友人 5人がみんな大学に進学すると言うから私もつられて大学に! 大阪経済大学に進学しました。 産校で簿記をしっかり習っていたので大学の授業は楽でした。それで第二外国語に中国語を習いました。その当時は英語を習 う人が多かったですが、中国語を習う人は少なく、まだ毛沢東 が居た頃です。北京からの先生 で、大阪外国語大学の卡民岩先 生について4年間しっかり習いました。貿易商社に入社したい と考えていましたが、卒業と同時に陶芸の道に入り今日に至っています。地元の友人で学校教材用陶器を業としている友人がいて、学生の私は時間の余裕があるから良く手伝いに行きまし た。卒業する間際に友人から、 和歌山県は誰もこのようなことしていないから、是非やれ!と言われて、貿易商社に行くつも りが、全くの素人ながら、この 陶芸の道に!小中高の美術の先生に集まってもらって講習会を開催し和歌山県全域に広げまし た。若さですね。沢山の先生方 に支えられて約10年間一生懸命に前を向いて頑張りました。 そんな中、材料の仕入れで陶 芸の産地、信楽、四日市の萬戸 焼きなどに良く出かけ、又、そ こで沢山の人との出会いがありました。プロの陶芸家との出会いも多く、強く影響を受けて、 本格的に陶芸の道にのめり込んで行きました。そんな中ある作家に薦められて、素人ながら日本伝統工芸展に出品するように なりました。入落を体験しながら、自分にだけしか出来ない作品をと感じて、灰釉陶芸に邁進しました。燃えるものなんでも燃して、灰にして、それを釉薬につかう灰釉陶芸、約40年間、 いろんな公募展に出品し、又、全国有名百貨店美術画廊にて個展も開催して来ました。そのような中で東京国立博物館の林屋 晴三先生との出会いがあり、私の陶芸活動に大きく教えを戴きました。そして今から約20年前にある事がきっかけで40年の灰釉陶芸を辞めて、今の新しい陶 芸、碧、大宇宙、ギャラクシー をイメージした作品造りに精魂込めて今日に至っています。 海外でも評判が良く外国でも 個展を何度も開催して来ました。 令和元年国賓第一号で来日し たアメリカのトランプ大統領に天皇陛下より、私の作品がプレゼントされ話題になりました。 今日の私は、障害のある人達に、私の55年間の陶芸に関する知識、体験、又、粘土で造る楽しさ、面白さ、又、芸術芸家への夢を持ってもらえるような講 座を開設したいと想い、いろんな人達と話し合いを進めているところです。 振り返ってみますと、沢山の人々との出会い!それが私の人生最大の財産でした。 感謝申し上げます。ありがとうございます。

 

アフターコロナ時代へと